2017-04-12 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号
海外でどういう状況になっているということを、タイでもって、タイに逃げてきているビルマ人の人たちの、特にジャーナリストが新聞を作ったんです。それを何十万部という単位でもって国境を越えて運んでいくわけですね。国境を越えていくと、あそこから近いんですね、ラングーンまで車で数時間で行けますから。カレン軍の兵隊さんたちに守ってもらったりしながら、どうにかラングーンにたどり着いて配るわけですよ。
海外でどういう状況になっているということを、タイでもって、タイに逃げてきているビルマ人の人たちの、特にジャーナリストが新聞を作ったんです。それを何十万部という単位でもって国境を越えて運んでいくわけですね。国境を越えていくと、あそこから近いんですね、ラングーンまで車で数時間で行けますから。カレン軍の兵隊さんたちに守ってもらったりしながら、どうにかラングーンにたどり着いて配るわけですよ。
私も、在日のビルマ人の方々の多くに、日本政府として今後何をしてほしいのか、するべきかという視点でいろいろと伺いました。その中で一番多くあったのが、タン・シュエ議長とアウン・サン・スー・チーさんの対話を促進するための努力をぜひしていただきたいという切実な声が多々寄せられていたんですが、この件について、日本政府としての決意をぜひ伺いたいと思います。
私はミャンマーの民主化議連の会長をさせていただいておりまして、政権交代をしてから、たびたび、福山外務副大臣等、いろいろな御協力、ビルマ人の会合に出ていただいたり、あるいは外務省に行ってしっかりとそこはこちらの要望を聞いていただいたり、そういった意味で、前政権とは全く違う積極的な対応をしていただいている。
またこれは引き続き考えてまいりますけれども、また、在日のビルマ人の難民認定等についても、非常に彼らも困っているところがございますので、引き続き御助力をお願いしたいと思います。 それから、これは質問通告ではないんですけれども、一点ちょっと気になったので、これは別に困らせる質問じゃないので御懸念は要りません。
○末松委員 まさしく本当にそういった形で頑張っていただきたいと思いますし、特に日本政府が、国境近く、タイ側の例えばUNHCRの、あれはビルマ人の難民キャンプ、これに対して、そういったプロジェクトにしっかりと応援をしていただいているとか、あるいは、ミャンマー政府あるいはミャンマーに対する日本からの投資が年々減ってきている、これは正直言って、ミャンマー政府自体が民主化に対してこたえてきていないというような
あるいは日本国内のミャンマーの方々、ビルマ人の方々ですね、聞いているんです。 そこをぜひ、一回現状も把握していただきたいと思うんですが、それはいかがですか、大臣。
また、ビルマ人で反政府運動を行っていたキンマウンラさんという方が難民認定申請を行い、また、再難民認定申請を行っておりますが、いずれも認定されない、許可されない。そして、行政事件訴訟についても、地裁、高裁ともこれは請求が棄却されている。幸いなことに、二〇〇四年の三月五日に在留特別許可を受けているという事案もあります。これらは、ある意味で氷山の一角の事案であります。
例えば、あるビルマ人の方の例でありますが、一九九一年に来日して、九二年に難民申請をした。これは、アウン・サン・スー・チーさんなんかと一緒に反戦行動をやっていたということのようであります。そういう関係で、ミャンマーと言わずにビルマというふうに言わせていただいておりますが、九八年に在留特別許可を得た。しかし、この方が、難民認定は受けられない。そこで、二〇〇三年十一月にアメリカに渡った。
九二年からはビルマ人の難民申請の弁護団の活動もしておりました。今回、この改正の問題というのは中国での瀋陽の日本領事館での事件をきっかけにしておりますけれども、それ以前から日弁連はこの委員会を設置し、検討をしてまいりました。今日は、その研究、検討の結果を踏まえつつ、参考人としての意見を述べたいと思います。
昨年十一月二十六日の予算委員会で、私は法務大臣に、在日ビルマ人、キン・マウン・ラット氏御一家の強制送還の案件について、法務大臣の裁量による在留特別許可を認めるようにお願いをしました。小泉首相は強制送還やむを得ないと。あるいは法務大臣も、私の裁量で左右してはいけない案件だという答弁でございましたが、しかしその後、三月五日に法務大臣は家族全員にこれお認めくださいました。
最近のテレビや新聞で報道された例の在日ビルマ人、キン・マウン・ラットさん一家のことですが、奥さんはフィリピン人で、日本で生まれ育った小学校四年と幼稚園児の二人の娘さんの一家四人、これがばらばらに強制送還されると、されようとしているという話ですが。公明党の神崎代表も法務大臣に直接要望されたらしいんですが、これは選挙中のTBSの何か党首の討論、小泉総理もその話は存じておられますね。
きょうは高村外務大臣にぜひ、かなり重い質問ですけれども、受けとめて、速やかに対処をしていただきたいという思いを込めて、在日ビルマ人、ミャンマーという言葉を彼らは使いませんけれども、ミャンマー軍事政権に反対をし、アウン・サン・スー・チーさん率いるNLDの、つまりきちっとした選挙を経た民主主義の政治を回復するべきであるという運動を日本国内でされている方が、実は五月二十三日にミャンマー、便宜的にミャンマー
○保坂委員 大臣に伺いますけれども、私、何人も在日ビルマ人の方を承知しています。そして、今入管局長お答えになりましたけれども、大変厳しい人員の中で、日本の難民申請の手続というのは大変なんですね。まだなかなか整備をされていない。そういうビルマの若者たちと語り合って、この人たちはやはり未来の国の指導者になっていく、あるいは重要な支え手になっていく人たちだろうと思っておつき合いをしています。
いろいろな御縁があって、在日ビルマ人、アウン・サン・スー・チーさん率いるNLDを支持してきて、祖国であるビルマ軍事政権、ミャンマー政府と強く対決をして国外に逃れている、青年たちといってももう日本に来て十年、長い方は三十代になっている、こういう方々の問題を、まずは基本姿勢を問う上でお聞きしたいと思います。
○保坂委員 外交というのは内と外、実はビルマの祖国を逃れて日本にたくさんのビルマ人がやってきています。そして、アウン・サン・スー・チーさんが例えばハンストをすればこれに呼応してまた連帯の行動をとるというようなことを繰り返し、現政権に抗議をしているわけですが、法治国家として信じがたい出来事が五月二十三日に起きました。
○保坂委員 それで、公安調査庁に来ていただいているのですが、今まで多々いろいろなケース、在日外国人について、ビルマ人青年について申し上げましたが、こういうやりとりを私がこの法務委員会でやらせていただいたのも、極めて熱心ないわゆる在日ビルマ人や外国人を支援する、例えば弁護士やNGO、あるいは研究者、学者の方などの一種の活動のたまものという部分がございます。
それから、日本の国内には、不法滞在者と言われておりますけれども、八千人のビルマ人が居住しております。八十五人の民主化活動家が法務省に対して亡命の申請をしておりますが、それは一人も認められておりません。ドクターのコースを持つ若者たちが皿洗いをしたりいろいろなことをしながら、苦しみながら日本に滞在しております。
その当時読んだ本は、皆さんも御存じかもしれませんが、ヌルクセとかロストーとか、ビルマ人の経済学者であるミントとか、そういった方々の本を読みました。 結局、当時は経済政策を語るよりも政治の安定というものがまず第一で、国際政治に翻弄される東南アジアというような感じがございまして、まだまだ開発を論ずる段階ではないというような時代状況でございました。
今の軍事政権とカレン民族同盟との間で過去三回ぐらい、お互いビルマ人として仲よくしよう、ミャンマー人として一緒にやりましようということで話し合いをしたそうです。ところが、その三回とも無条件降伏しろ、こういうことなので、なかなかうまく歯車が合わない。
実はこれほんの二、三日前から在日ビルマ人の方たちが、日本からのODAは困るんだ、やめてもらいたいんだ、こういうことを国会議員にいろいろ言っていらっしゃる。これは総理大臣にも外務大臣にも行かれたと思うんです。こういう声が上がっている。
父親がビルマ人で母親が日本人なんです。その夫婦がドイツに住んでいて、子供が生まれて、それで親子三人ともドイツの国籍をとった。それが今度は日本に来て今日本に住んだ。これはどういうふうに、日本の国籍が持ちたいと言ったら今の政府は持たせてくれるんですか。
実は、よく言われますように、血は水よりも濃しという言葉の通り、インドまで行くとまたちょっと違いますけれども、ビルマまでは全く、言葉をかわしてみて初めて、これはビルマ人だ、これはタイ人だというふうに気がつくほど、事それほどわれわれときわめてよく似ております。
当時頼んでおった、これは日本人でビルマ語も英語も日本語も非常にうまい日立造船の太田という人がおりまして、それがちょうど帰ってくるので、その次にビルマ人を雇おうというのがおりまして、ちょうど切りかえのまっ最中であったわけでございます。
ビルマ人が五名おります。それでビルマ人に取り扱い方を教えております。 なお、先ほど申し忘れましたが、そのほかにデモンストレーション、修理、サービスのほかに、ビルマの、日本でいいますと農業改良普及員に相当しておる者、あるいは農事試験場の職員、そういった連中をビルマのラングーンのセンターに集めまして講習をするための施設もございますし、現にやってもおります。今約二十人収容できる教室も設けております。
ということがございますが、この一番最初の根源は、ビルマ賠償のときに交換公文に文句がございまして、そのときは前に御説明いたしました通り、直接契約か間接契約かということがはっきりしていないので、交換公文によってはっきりしたわけですが、その交換公文の第七項に、「日本国政府は、また、日本国政府とビルマ連邦政府との間の合意により、ビルマ賠償使節団の経費の支払、ビルマ人の技術者及び学生の教育及び訓練のための費用
私は、二、三年前にビルマに参りまして、いろいろお世話になってきたのでありますが、あのビルマ人というものは、皆さん御承知のように、ビルマの女の人は、日本の女の人とすっかり同じです。言葉なんかも非常に似通った言葉がありますし、日本の習慣と非常に似通うておる点が多々あるのであります。
ビルマにおきましては戦前に相当医者が発展しておりまして、かつビルマ人の間にも非常に好評を博しております。従って来雨アジア方面はボルネオにいたしましてもどこにいたしましても日本の医者を非常に歓迎いたします。というのは白人の医者では暑くて住み切れない。従って白人の医者は成り立ちません。土地の医者もまだ非常に幼稚な段階ですから、ちょうど日本の医者が一番適当であり歓迎せられる状態なのであります。